【J-POP PLAYBACK】昭和から平成の年代別邦楽ヒット曲


1940年(昭和15年)の邦楽ヒット曲


1940年(昭和15年)1月20日発売 / 作詞:西條八十 / 作曲:古賀政男


霧島昇の代表曲のひとつ。遠く離れたふるさととその思い出を偲ぶ歌で、戦地に送られたレコードによって異国で任務に当たる兵士たちの心を鷲掴みにした。
外地での人気が国内にも波及して人気曲となるが、憂いを帯びたメロディーが国民の士気を下げるとして批判や禁止の声も上がった。
霧島の出身地である福島県いわき市大久町「いわき市海竜の里センター」には、この唄の碑が立っている。

1941年(昭和16年)の邦楽ヒット曲


1941年(昭和16年)6月発売 / 作詞:奥野椰子夫 / 作曲:菊池博


全国高校優勝競漕大会に出場するために旧制四高(現・金沢大学)漕艇部のメンバーが合宿で琵琶湖遠漕をしていた際、高島市沖で突風に煽られたボートが転覆。部員とOB計11名全員が死亡した。
この事故の犠牲者を追悼するために作られた曲だが、全ての遺体が収容される前にレコードの発売を決定していることから、四高生の中には不謹慎だと不快を示す者もいた。
1917年(大正6年)に成立した「琵琶湖周航の歌」のエッセンスが多く取り込まれ、戦意高揚を図る曲が多い中での鎮魂歌は世間にひろく受け入れられた。それゆえ「琵琶湖周航の歌」と混同する人も多い。


1941年(昭和16年)9月発売 / 作詞:西條八十 / 作曲:仁木他喜雄


同名の松竹映画主題歌。
前年に公開された映画「支那の夜」に続き、映画とタイアップした主題歌がヒットした。李香蘭(山口淑子)の歌といえば「支那の夜」の挿入歌「蘇州夜曲」が有名だが、その大ヒットに味をしめて(?)、雑誌「日の出」に連載していた小説「中國少女」を改題したもの。
映画の相手役は「支那の夜」での東宝の看板スター・長谷川一夫から、今作は佐野周二にバトンタッチした。佐野周二は関口宏の父。立派な人格の医師・佐野周二と、反日思想の孤児院の院長・李香蘭のラブロマンスを描く。

1942年(昭和17年)の邦楽ヒット曲


1942年(昭和17年)10月1日発売 / 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:佐々木俊一


藤澤桓夫による同名の朝日新聞連載小説が映画化され、その主題歌として作られた曲。映画の内容は戦時中にもかかわらず教師の淡い恋愛をテーマにしており、曲ものびやかな青春賛歌である。優雅で爽快感ある壮大な前奏に加え、灰田の切なさを帯びた歌声で世間に広く受け入れられた。
NHK紅白歌合戦で灰田がこの歌を歌ったことはないが、1953年(昭和28年)の第3回で映画の主演を務めた月丘夢路が歌唱し、1982年(昭和57年)の第33回では新沼謙治が歌っている。

1943年(昭和18年)の邦楽ヒット曲


1943年(昭和18年)9月10日発売 / 作詞:西條八十 / 作曲:古関裕而


予科練生(海軍飛行予科練習生)の成長と民間人との交流を描いた映画「決戦の大空へ」の挿入歌。
若年層に大いに受けて23万枚を売り上げ、予科練の志願者が激増した。
霧島昇は同年に召集令状を受けて大日本帝国海軍横須賀海兵団に入隊したが、赤紙が届いたときにはこの歌の大合唱で送られたという。

1944年(昭和19年)の邦楽ヒット曲


1944年(昭和19年)9月発売 / 作詞:野村俊夫 / 作曲:明本京静


この曲と同じ年に発売されヒットを飛ばすことになる「お山の杉の子」の安西愛子が、酒井弘(さかいひろむ)とタッグを組んでリリースした戦時歌謡。酒井の曲の中で最大のヒット作になった。作曲は1939年(昭和14年)の「父よあなたは強かった」で50万枚近い売上を記録して一躍有名になった明本京静(あけもときょうせい)。
副題に「学徒動員の歌」とあり、生徒や学生が軍需産業や食料生産に動員された、いわゆる「銃後の勤労奉仕」の士気高揚の歌である。
女性が歌唱する際には、四番の歌詞「何を荒ぶか小夜嵐 神州男児ここに在り」の神州男児の部分が、神州乙女と替えて歌われた。また学徒出陣の壮行歌としても歌われた。

1945年(昭和20年)の邦楽ヒット曲


1944年(昭和19年)12月発売 / 作詞:吉田テフ子 / 作曲:佐々木すぐる


少国民文化協会が行った少国民歌の公募にて入賞した歌。
戦争で父親を失った子を山の杉苗に例えて、励ましながら成長を願う歌である。しかし戦後GHQにより歌詞の内容が軍国主義的だとして放送禁止となったため、サトウハチローが詩文の何箇所かを改めた。
(例)当初の5番歌詞「大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船 傷痍の勇士の寝るお家 寝るお家」→補作後「大きな杉は何になる お舟の帆柱 梯子段 とんとん大工さんたてる家 たてる家」
東京都西部の御岳渓谷には、作曲者の佐々木すぐるが疎開していた縁で、この歌の歌碑がある。

1946年(昭和21年)の邦楽ヒット曲


1946年(昭和21年)1月発売 / 作詞:サトウハチロー / 作曲:万城目正


戦後のヒット曲第1号。戦後初めてGHQ(連合軍最高司令官総司令部)による映画検問を通過した作品「そよかぜ」の挿入歌。
「そよかぜ」は少女みち(並木路子)が、歌手としてデビューするまでの道のりを描いた物語。映画の中でみちが実家のリンゴ畑で歌うシーンでは、実際には「丘を越えて」が歌われ、アフレコ時に歌を入れ替えたという逸話がある。
オリジナル版では霧島昇とデュエットしている。

1947年(昭和22年)の邦楽ヒット曲


1947年(昭和22年)5月発売 / 作詞:サトウハチロー / 作曲:古関裕而


戦前の大歌手・藤山一郎は、終戦の翌年にインドネシアから復員して芸能活動を再開。次々と作品を世に送り出す中、1947年(昭和22年)5月にリリースされた曲である。東宝映画「音楽五人男」主題歌。
同じく東京の名を冠する彼のヒットナンバーで1936年(昭和11年)にリリースされた「東京ラプソディ」の底抜けの明るさと較べると、戦後復興への期待と路地裏の貧しさの風景を共に歌っており、似て非なる作品といえよう。
冒頭で「柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日」と歌っているように、かつて銀座には柳の並木があった。

1948年(昭和23年)の邦楽ヒット曲

1949年(昭和24年)の邦楽ヒット曲


1949年(昭和24年)4月発売 / 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:服部良一


同名の東宝映画主題歌。東京メトロ銀座線銀座駅で発車メロディとして使用されている。
画家と音楽家志望の高峰秀子と笠置シヅ子が武蔵野の落語家の家に居候をはじめ、ふとしたきっかけで映画撮影のエキストラに出るようになる。そして銀座で歌うようになり、稼いだ金で居候先の危機を救うというストーリー。
タイトルのカンカン娘の意味は定かにはなっていない。パンパン(街角で客待ちをする娼婦)に間違われてカンカンに怒るという意味だとする説が有力だが、カンカン帽(麦わら帽子)由来であるとか、ショーダンスのフレンチカンカン由来だとする説も。

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